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ベンツ パテント モトールヴァーゲン〔レプリカ〕(1886・ドイツ)

ベンツ パテント モトールヴァーゲン〔レプリカ〕(1886・ドイツ)

ベンツ パテント モトールヴァーゲン〔レプリカ〕(1886・ドイツ)
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ガソリン自動車の第1号は、各国でさまざまな説があるが、ベンツが1886年につくった3輪自動車といわれている。小型で軽量なエンジンを開発していたカール・ベンツは、これを馬車に代わる新しい乗り物に用いることを考えたが、操舵性に問題があったため、はじめ3輪車を設計、ティラー(棒ハンドル)で前輪を操向する方法でこれを解決した。リアアクスルの上におかれたエンジンは水平単気筒、時速15kmの走行が可能で、デフを備えていた。

ベンツ ヴェロ(1894・ドイツ)

ベンツ ヴェロ(1894・ドイツ)

ベンツ ヴェロ(1894・ドイツ)
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3輪車を一歩進めて4輪車の設計を開始したベンツは、まずキングビン式の前輪操向システムで、1893年にドイツ帝国の特許を取得。これを採用してつくられたベンツ最初の4輪車が”ヴィクトリア”であり、ひと回り小さい”ヴェロ”は1894年に発売された。フライホイールが垂直になるようにエンジンがセットされ、プーリーとベルトによる2段変速機からデフを介してチェーンで後輪を駆動、時速21kmで走行できた。

ド ディオン ブートン 1 3/4HP(1898・フランス)

ド ディオン ブートン 1 3/4HP(1898・フランス)

ド ディオン ブートン 1 3/4HP(1898・フランス)
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パリのド・ディオン・ブートン社は1883年からスチームカーを生産していたが、1895年からガソリン車に転向。軽量で信頼性の高いエンジンを開発し、先ず3輪車に搭載、その機動性、低価格でたちまちヨーロッパ市場で最もポピュラーな車となった。1898年には前部に客用シートを備えた改造4輪車も追加。しかし市場からの乗車定員増、乗客の安全性、快適性等の要求には応えられず、次第に市場を失い、3輪車、改造4輪車ともに1903年には生産が打ち切られた。

パナール ルヴァッソール B2(1901・フランス)

パナール ルヴァッソール B2(1901・フランス)

パナール ルヴァッソール B2(1901・フランス)
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当時のパイオニアカーのほとんどが馬車や自転車などの影響を受けて、まだ駆動系のレイアウトや機構は”馬なし馬車”そのものであった。この点からすれば、1890年から自動車製造を開始したパナール・ルヴァッソールがダイムラーの鋼製自動車(1889年)をヒントに考案して、1891年にパテントを取得した機構(システム・パナール)が自動車技術の基礎を築いたことになる。いわゆる最先端に置かれたエンジンの後方に、クラッチ、トランスミッションを縦一列に配し、ドライブシャフトとデフ機構を介して後輪を駆動させるFR方式を採った最初の自動車なのである。このモデルは、初期のティラー式から、すでに円形ステアリングホイールと傾斜したステアリングコラムを持ち、アッカーマンの方式を採用している。

オールズモビル カーブドダッシュ(1902・アメリカ)

オールズモビル カーブドダッシュ(1902・アメリカ)

オールズモビル カーブドダッシュ(1902・アメリカ)
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オールズモビルも1890年からつくっていた蒸気式3輪車に代わってガソリン車を1895年に完成させたが、注目すべきことは1901年に発表したカーブドダッシュで、世界初の大量生産方式を採用したことだ。1902年には2,500台、1903年には4,000台、1904年には5,000台が売られ、当時のヨーロッパ最大のメーカー、ド・ディオン・ブートン社の年間1,200台の生産台数と比較しても、この数字の重要性がよくわかる。

キャデラック モデルA(1902・アメリカ)

キャデラック モデルA(1902・アメリカ)

キャデラック モデルA(1902・アメリカ)
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ピストル製造で有名なコルト社出身の精密技術の権威ヘンリー・M・リーランドはデトロイト・オートモビル社を経て、1902年にキャデラック社を創立。最初に完成したのが”モデルA”である。設計はデトロイト・オートモビル社時代のヘンリー・フォード。エンジンはリーランド&フォークナー社がオールズモビル用に生産していた水冷単気筒で、これに遊星ギアを組み合わせ、前進2段と後退1段のギアボックスを備える。ラジエーターは熱気が乗員に当たらないように、やや引っ込めて取り付けているのが特徴で、フレームは鋼鉄製、量産体制もこの時できあがっていた。

ベイカー エレクトリック(1902・アメリカ)

ベイカー エレクトリック(1902・アメリカ)

ベイカー エレクトリック(1902・アメリカ)
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ガソリン自動車の普及がはじまっても、アメリカは長い間、電気自動車がつくられた。それは、やはり1895年にジョージ・ウィリアム・セルデンが取った自動車そのものに対するパテントのため、ガソリン自動車をつくるためにはロイヤリティを支払わなければならなかったからだろう。しかし、もうひとつ考えられる理由は、静かで、排気ガスもなく、始動時にクランクを回す必要がないという電気自動車の利点によるもので、事実、女性には人気があったという。ベイカー・エレクトリックは1899年から1915年まで続いた有名な電気自動車で、1馬力のモーターから時速40kmの走行が可能。各部にボールベアリングを多用し、初めて駆動系にベベルギアを採用したことでも有名である。

イソッタ フラスキーニ ティーポT(1908・イタリア)

イソッタ フラスキーニ ティーポT(1908・イタリア)

イソッタ フラスキーニ ティーポT(1908・イタリア)
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イタリアの伝統的な最高級車イソッタ・フラスキーニは、4輪ブレーキ(1910年採用)やSOHC8気筒エンジンの先駆者として、またモータースポーツでの活躍も目覚しいものがあった。このタイプTは1907年にはコッパフローリオを勝ち取ったほか1908年のタルガフローリオで勝利を飾るなど、多くの栄光を残している。また、英国のアストン・マーチンもここから生まれ、若き日のエンツォ・フェラーリやアルフィエーリ・マセラティもここのドライバーを経て、巣立っていったのである。

スタンレー スチーマーモデルE2(1909・アメリカ)

スタンレー スチーマーモデルE2(1909・アメリカ)

スタンレー スチーマーモデルE2(1909・アメリカ)
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スタンレー社は、1897年に蒸気自動車をつくりはじめ、年々改良を加え大成功を収めた。1905年からのこの特徴的なボンネットスタイルはフロントにボイラーを置き、ウォータータンクで囲ったことから生まれ、エンジンは中央の床下。簡単なスライドバルブがついた2気筒で、ギアボックスはなく、スパーギアで直接車輪を駆動する。スタンレースチーマーは静かで、振動も少なく、トルクフルで扱いやすい上、高速で走ることができるなど利点も多く、1927年までつくられた。ちなみに、1906年、フロリダのオーモンドビーチで時速127.66マイル(205km)を出して世界記録をつくったことでも、その足の速さは理解できる。

フォード モデルT(1909・アメリカ)

フォード モデルT(1909・アメリカ)

フォード モデルT(1909・アメリカ)
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大量生産システムによるコストダウンや運転を簡素化する数々のメカニズムで大衆化を果たしたフォード・モデルTは、1908年のデビューから1927年までの間に1500万台以上も生産された空前のベストセラーカーであった。アメリカはもちろん全世界の足になったばかりでなく、モデルTなしに自動車史は語れないほど大きな影響を与えた。モデルTで注目すべきことは、遊星ギアのトランスミッションをより実用的なものにしたことだ。ドラムにブレーキをかければ変速を開始する独特な機構は現代のオートマチックに似たもので、扱いやすく、当時のノンシンクロのギアをコーンクラッチ操作する変速のわずらわしさから人々を解放した。1909年初頭までは2ペダル方式を採り、前進、後退はレバーで行なったが、このモデルTからは3ペダル方式を採用。リバースは真ん中のベダルで行なう。

トーマスフライヤー モデルL(1909・アメリカ)

トーマスフライヤー モデルL(1909・アメリカ)

トーマスフライヤー モデルL(1909・アメリカ)
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1902年から2気筒小型ラナバウトの生産をはじめたトーマス社は、当時のアメリカでもっとも有名で大きな自動車メーカーのひとつであった。1905年からは4気筒40/50hpや6気筒60hpのシャシーでレースアバウトからリムジンまでさまざまなモデルをつくったことでも有名である。なかでも展示車両6気筒モデルは、やや小型かつ比較的安価なことから非常に人気があった。しかしトーマス社を一躍有名にしたのはモデル35・フライヤー6気筒72hpがニューヨーク〜パリレースで優勝したことであろう。この時、ウラジオストックへ渡る途中わが国を経由した事実も興味深い。

ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(1910・イギリス)

ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(1910・イギリス)

ロールスロイス 40/50HP シルバーゴースト(1910・イギリス)
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F・H・ロイスとC・S・ロールスは1904年、完璧な自動車をつくるためRR社を設立。徹底した製品管理をもとに高品質な高級車をつくりはじめ、1906年、最大の傑作といわれる40/50馬力の6気筒車を発表した。この13番目のシャシーに全身銀色のツアラーボディを載せて、RAC(英国王立自動車クラブ)の監督下、グラスゴー〜ロンドン間を昼夜ノンストップで延べ15,000マイルをほとんどトラブルなしに走破。幽霊のように静かでスムーズな走行性と塗色から”シルバーゴースト”と呼ばれるようになった。こうした信頼性とともにシルバーゴーストの軽量かつ耐久性の高いシャシーは高く評価され、第1次世界大戦では装甲車などの重いボディを架装して熱砂の戦場を駆けめぐったことでも、その性能の高さは実証されている。もちろんシルバーゴーストは高価であることは間違いない。しかし、高い品質を持った量産車として、フォード・モデルTと生き方は違うが、高級車の源流になったのである。

ドゥローニーベルビユ タイプHB6L(1911・フランス)

ドゥローニーベルビユ タイプHB6L(1911・フランス)

ドゥローニーベルビユ タイプHB6L(1911・フランス)
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機関車や船舶のメーカーとして有名であったドゥローニーは、1904年のパリサロンで自動車を発表。特徴的な丸型のラジエーターは人々の注目を集め、ベンツ型やルノー型とともに第1次世界大戦までひとつの流行として多くのメーカーに影響を与えることになった。また1909年から採用されたコンパクトで静かな6気筒エンジンは信頼性が高く、豪華なボディを架装してロシアのニコライU世など世界の名士からも支持されたのである。

イスパノスイザ アルフォンソ[(1912・スペイン)

イスパノスイザ アルフォンソ[(1912・スペイン)

イスパノスイザ アルフォンソ[(1912・スペイン)
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スペイン王室とも深い結びつきを持ち、多くの伝説に彩られるイスパノスイザは想像を絶する豪華車でも有名だが、第1次世界大戦前は積極的にレースへ参加。1910年のクープ・デル・アウトで初の勝利を手にした。このプロトタイプはタイプ15Tと呼ばれ市販されるが、第1号車をスペイン王アルフォンソ13世に王妃が贈り物としたことから”アルフォンソ[”の名で知られるようになった。しかも、レーシングカーをデチューンして生まれた優れた性能や軽快な操縦性から、史上初のスポーツカーともいわれている。

キャデラック モデル サーティ(1912・アメリカ)

キャデラック モデル サーティ(1912・アメリカ)

キャデラック モデル サーティ(1912・アメリカ)
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エンジンスタートに関しては、この頃圧縮空気や強いスプリングを使用スプリングを使用したものなどによるさまざまな自動始動装置が試されたが成功することはなかった。ところが1911年7月に公開されたキャデラックの試作車は画期的なセルフスターターを備えていた。6Vバッテリーをいためることなく、瞬間的に24Vのパワーでモーターを回す新しいタイプの電動始動機は、女性でも作動させやすいようになった。また、キャデラックはこの始動装置のほか、電気式ヘッドライトを標準装備としたのも大きな特徴であった。

ベンツ 14/30HP(1912・ドイツ)

ベンツ 14/30HP(1912・ドイツ)

ベンツ 14/30HP(1912・ドイツ)
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ヒット作ヴェロの単気筒に固執したため、技術面で遅れをとったベンツも、1905年から1906年にかけて新しい4気筒車を続々と発表、多くのトライアルに参加して成功を収めた。このスポーティなツアラは1912年製でカウルを曲面で構成したモダンなスタイルを特徴としているほか、電気式ヘッドランプなど、装備も充実している。またデザインや効率がいいことから、ラジエーターが他車へ与えた影響も大きく、しだいに普遍的なものになっていく。

ルノー タイプDJ(1913・フランス)

ルノー タイプDJ(1913・フランス)

ルノー タイプDJ(1913・フランス)
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初期型のルノーは、現代の自動車のように前方から開閉するボンネットとエンジンの後に置かれたラジエーターを大きな特徴としていた。このスタイルの利点は、メンテナンスを容易にしたことだが、武骨なラジエーターにかえて流線型を採用、前方視界を確保することもできた。みごとなコーチワークの1913年型タイプDJは高級なリムジンボディを持ち、馬車時代のなごりから運転席と客席は完全に分離。運転手というより御者と呼んだほうがよさそうだ。

プジョー ベベ(1913・フランス)

プジョー ベベ(1913・フランス)

プジョー ベベ(1913・フランス)
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フランスのプジョーも早くから大衆向けの小型車の開発に努め、1905年、年間400台も販売された画期的な大衆車、最初のべべを完成させていた。そのコンセプトにもとづいて1913年、エットーレ・ブガッティが設計したのがこのプジョー・べべということになる。ユニークな機構や当時としては小さなエンジンを備えたミニマムなオープン2座はフランスの大衆に自動車の楽しさと便利さを教えたことはいうまでもない。1916年までに、3,000台以上も生産されたのである。

モーリス オックスフォード(1913・イギリス)

モーリス オックスフォード(1913・イギリス)

モーリス オックスフォード(1913・イギリス)
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モーリスオックスフォードはイギリス人のための車づくりをめざしたモーリス社の創立者ウィリアム・モーリスによってつくられた小型大衆車。この車はエンジンなどの主要部品の外注により、製造コストを低く抑えて提供され続け、1913年から1923年までに約15万台生産された。また個性的なラジエーターから「ブルノーズ(牛の鼻」)と呼ばれ、広く親しまれた。

スタッツ ベアキャットシリーズF(1914・アメリカ)

スタッツ ベアキャットシリーズF(1914・アメリカ)

スタッツ ベアキャットシリーズF(1914・アメリカ)
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スタッツはアメリカのスポーツカーを語る上でなくてはならない存在である。1911年のインディアナポリス500マイルレースに出場。その直後に送り出した市販車からスポーツタイプだった。なかでも、多くのレースで勝利を収めたスタッツでもっとも有名なモデルが、1914年に発売されたベアキャットであろう。ベアシャシーの上にバケットシートと枕型のガソリンタンク、スペアタイヤを備えただけの風防すら持たない、簡素かつ野性的なロードスターは人気が高く、1925年まで生産は続けられた。

シボレー シリーズ490(1918・アメリカ)

シボレー シリーズ490(1918・アメリカ)

シボレー シリーズ490(1918・アメリカ)
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1915年、シボレーがフォード・モデルTと同じマーケットに送り出したモデル490は、明らかにフォードへの挑戦であった。490は独特な運転技術を要するモデルTの遊星ギアに対して、日常には使いやすい一般的な3段ギアボックスを採用してきたのである。さらに、OHVエンジンを搭載したこともあって整備性も格段に向上、着実にユーザーのハートをとらえ、1910年代の後半にはモデルTを脅かす存在になっていたのである。

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