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ベントレー 4 1/2 リットル(1930・イギリス)

ベントレー 4 1/2 リットル(1930・イギリス)

ベントレー 4 1/2 リットル(1930・イギリス)
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ベントレーはビンテージ期(1920年代から30年代初め)のイギリススポーツカーのなかでもっとも重要な意味を持つ。1927年からル・マン24時間レース4連勝、1924年の勝利を含めれば、この時期なんと5回もル・マン24時間レースで優勝を制覇。なかでも1928年のル・マン24時間レースで優勝を飾った4 1/2?ツアラーは、ベントレーでもっともポピュラーなモデルとして力強いジョンブル魂を象徴している。ビンテージ・ベントレーの特徴は、ハイスピードで長距離を走るために耐久性と信頼性を重視したことから、この時代の他の純レーサーと違って大型ボディと大排気量エンジンを備えていたことであろう。

アルファロメオ 6C1750 グランスポルト(1930・イタリア)

アルファロメオ 6C1750 グランスポルト(1930・イタリア)

アルファロメオ 6C1750 グランスポルト(1930・イタリア)
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スーパーチャージャー付6気筒DOHC・1750cm3の軽快なエンジンで数々のレースに勇名を馳せた6Cは、設計者ヴィットリオ・ヤーノの傑作のひとつであろう。その戦績は枚挙にいとまがないが、特に知られているのは、公道上のレースとして知られるミッレ・ミリアで史上初めて平均時速100km以上で走破し、見事優勝したことである。(1930年、ドライバーはタチオ・ヌヴォラーリ)

キャデラック シリーズ452A(1931・アメリカ)

キャデラック シリーズ452A(1931・アメリカ)

キャデラック シリーズ452A(1931・アメリカ)
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1930年、キャデラックはV16エンジン搭載車を世界に先がけてデビューさせた。452型と呼ばれるこのエンジンは7.4リッターの排気量を持ち、油圧タベット付きOHVヘッドを採用して、その出力も165馬力。豪華で重いボディをのせながら強力なパワーを発揮した。年間500台程度の限定生産だったが、キャデラックはこのV16によって速さと力と美しさを備えたアメリカNo.1のラグジュアリーカーの名声を手に入れることに成功したのである。

シボレー コンフィデレイトシリーズBA(1932・アメリカ)

シボレー コンフィデレイトシリーズBA(1932・アメリカ)

シボレー コンフィデレイトシリーズBA(1932・アメリカ)
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1920年代、フォードとの闘いは激化していた。フォードは'27年にモデルAを発表、シボレーも'29年から主力車種に6気筒をつみこんで対抗した。こうした実用車のハイグレード化のなかにあって1932年のシボレーは、キャデラックV16をスケールダウンしたような豪華なスタイリングを特徴とした。もちろん、インテリアに至るまで美しく化粧され、装備も充実。大型高級車と違うところはそのサイズのみで"ベビーキャデラック"の愛称で人々に親しまれた。

フォードモデル40(1934・アメリカ)

フォードモデル40(1934・アメリカ)

フォードモデル40(1934・アメリカ)
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高級化する実用車へ、フォードが出した答えは全てのモデルにV型8気筒エンジンを使うというものであった。実際には4気筒も残されたが、1932年にV8を採用したモデルを発表した。V8の利点はパワフルかつスムーズなことだが、コンパクトに収まることからスタイリングに与えた影響も大きい。短いノーズは違和感なく流線型を採り入れることができたのである。1934年のモデルは丸みをおびたボディと傾斜したハート型グリルを持ち、すでに流線型デザインの兆しが見られる。

シボレー マスターシリーズDA(1934・アメリカ)

シボレー マスターシリーズDA(1934・アメリカ)

シボレー マスターシリーズDA(1934・アメリカ)
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1920年代後半から毎年のようにモデルチェンジを行ってきたシボレーは1934年、マスターセダンでV型ラジエーターグリルを採用。クロームメッキを多用して豪華さをみせ、低められたボディは早くも流線型をイメージしているほか、構造的には失敗作に終わったが、前輪独立懸架を備えた画期的なモデルであった。注目すべきは、トヨダAA型がこのエンジンをスケッチしたことである。燃費のいいシボレー直6型を選んだことは互換性だけでなく経済的にも正しい選択だったのだ。

デ ソート エアフローシリーズSE(1934・アメリカ)

デ ソート エアフローシリーズSE(1934・アメリカ)

デ ソート エアフローシリーズSE(1934・アメリカ)
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多くのメーカーがまだ段階的に流線化を行なっていた1934年、クライスラーとデ ソートが突如として発表したエアフローは、進歩的すぎたため失敗に終わったが、当時の常識をはるかに超えていた。エンジンを前車軸の真上に置いて重量配分を変えたことで拡大した乗り心地のいい室内、現代のモノコックに近いボディ構造など、あらゆる点で画期的だったのである。このデ ソートのシャシーやボディ構造がトヨダAA型の開発に与えた影響は大きかった。

メルセデスベンツ500K(1935・ドイツ)

メルセデスベンツ500K(1935・ドイツ)

メルセデスベンツ500K(1935・ドイツ)
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1927年に登場し、数々のレースに活躍したSシリーズの後継モデルで、スーパーチャージャー付直列8気筒OHVエンジンと全輪独立懸架をもつ高度に洗練されたツアラー。デザインの面でも性能の面でも「バランスの良い優れた車」と言える。1934年から1936年までの間に約300台造られた。この時代の高級車はボディを名のあるコーチビルダーの手に委ねるのが普通であったが、ベンツは自社のジンデルフィンゲン工場でコーチワークを行なった。

ランチア アストゥーラ ティーポ233C(1936・イタリア)

ランチア アストゥーラ ティーポ233C(1936・イタリア)

ランチア アストゥーラ ティーポ233C(1936・イタリア)
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アルファロメオと肩を並べ、スポーツカーの華をさかせたランチアが1931年に発表したアウトゥーラは当初、それほどスポーティなモデルではなかった。ところが1933年、エンジンを大型化したことで時にはアルファロメオを破るほど高性能なツーリングカーに成長。1935年以降はピニン・ファリーナなどのカロッツェリアが魅力的なボディを架装して高級スポーツカーの道を選んだ。1936年のこのモデルも、ピニン・ファリーナの手によるものである。

フィアット500〔トッポリーノ〕(1936・イタリア)

フィアット500〔トッポリーノ〕(1936・イタリア)

フィアット500〔トッポリーノ〕(1936・イタリア)
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トッポリーノの愛称で親しまれ、のちにイタリア中を走り回る小ネズミ"フィアット500"は1936年に完成した。当時の技術ではむずかしいといわれた500ccクラスの小型車で、ミニマムななかに充分な居住スペースを確保。しかも4輪油圧ブレーキなど大型車と変わらない贅沢なメカニズムを備えていたことは驚くべきことであり、それまでのように大型車のスケールダウンではなく独自の設計から生まれたことも高く評価できる。

MGミジェット タイプTA(1937・イギリス)

MGミジェット タイプTA(1937・イギリス)

MGミジェット タイプTA(1937・イギリス)
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果敢なレース活動を行なってきたMGも1935年、モーリス社の傘下に入ることによって安価なスポーツカー、シリーズTをつくることになった。生産合理化のために、モーリスのパーツを多く流用して量産を可能にしたばかりか、油圧ブレーキやシンクロ付きのギアボックス(3、4速のみ)を備えた価格はモーリス・サルーンの215ポンドとほとんど変わらない222ポンドを実現。MGの一大ヒット作になった。

SSジャガー100(1937・イギリス)

SSジャガー100(1937・イギリス)

SSジャガー100(1937・イギリス)
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低く精悍なスタイルと広めのトレッドを包み込むように張り出したウィング状のフェンダーが特徴的なSS100は、戦後ジャガースポーツの基礎を築き上げたばかりか、その後のスポーツカーに大きな影響を与えた。時速100マイルの高性能スポーツカーが、ベントレー3 1/2リッターの1380ポンドの約1/3にあたる395ポンドで買えるとしたら人々がそれを選ぶのは当然のことである。コストとスタイリングと性能をみごとにバランスさせたSS100は、現代のクルマづくりにも通じるものがある。

コード フロントドライブ モデル812(1937・アメリカ)

コード フロントドライブ モデル812(1937・アメリカ)

コード フロントドライブ モデル812(1937・アメリカ)
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若き実業家エレット・ロバン・コードは1924年にオーバン、1927年にデューセンバーグを相次いで買収。1929年にみずからの名を冠した画期的なFF車”コードL-29”を発売する。しかし売り上げ不振のため生産中止、810は新しく設計され、その発展型が812になる。812はラジエーターをエンジンルームに収め、リトラクタブルヘッドライトを持つといった先進的なメカニズムを備えていた。L-29から続くFF方式や電機式のバキュームギアシフトなど、エンジニアやデザイナーが理想を現実としたのがコードなのかもしれない。

ロールスロイス 40/50HP ファンタムV(1937・イギリス)

ロールスロイス 40/50HP ファンタムV(1937・イギリス)

ロールスロイス 40/50HP ファンタムV(1937・イギリス)
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1935年、ロールス・ロイスはV12気筒をつんだファンタムVを送り出した。このV12気筒は多気筒競争に参加するためのものではなく、長い時間をかけて蓄積した航空機エンジンの豊富な知識や経験を生かしたものであった。サスペンションは前輪独立懸架を採用して、乗り心地と操縦性は大きく向上。ラジエーターが前進したことで室内のスペースも大きくなった。この1937年型サルーンは、フリーストン・ウェップのコーチワークによるもので、そのフィニッシュについてはいうまでもない。

リンカーン ゼファシリーズ(1937・アメリカ)

リンカーン ゼファシリーズ(1937・アメリカ)

リンカーン ゼファシリーズ(1937・アメリカ)
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1935年に登場したリンカーンゼファはまさしく完成された流線型であった。前開きのエンジンフード、フェンダーに埋め込まれたヘッドランプ、形跡だけをとどめるランニングボードなど美しくまとめられた未来的なデザインはたちまち人気の的となった。とくにモノコック構造から生まれた前後のバランスは絶妙であり、そのスタイリングは、フォルクスワーゲンにも強い影響を与えている。この1937年モデルも細かなマイナーチェンジは受けるが基本的にはデビュー時と変わるところはない。

シトロエン11B(1937・フランス)

シトロエン11B(1937・フランス)

シトロエン11B(1937・フランス)
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1920年代、通称5CVで大成功を収めたアンドレ・シトロエンは1934年に前輪駆動システムを採用した7CVを発表。わずかに遅れて主力である11Bを加えた。シトロエンはFF方式を導入したことで低重心を持つボディ設計を可能にしたばかりか、ワイドトレッドやモノコックボディ、前輪独立懸架など斬新なメカニズムも採用。これらがもたらすロードホールディングは当時のスポーツカーをしのぐものであったし、安定性や乗り心地のすばらしさは、のちのフランス車の特色になったのである。

モーリスエイトシリーズT(1937・イギリス)

モーリスエイトシリーズT(1937・イギリス)

モーリスエイトシリーズT(1937・イギリス)
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1930年代に入ってからも、イギリス大衆車は他の欧州車に比べて、大きな進歩はみせなかった。1934年に発表されたモーリス・エイトも、セパレートフレームにリジットアクスル、サイドバルブエンジンなど、オースチン・セブンの時代からあまり変化していないのである。もちろんあまりスピードを必要としない国土や保守的な国民性が複雑なメカニズムを否定したのかもしれないが、最大の要因は整備や手入れをオーナーにゆだねたことであろう。経済的に乗ることが実用車の本質であると考えたのである。

キャデラック シリーズ60スペシャル(1938・アメリカ)

キャデラック シリーズ60スペシャル(1938・アメリカ)

キャデラック シリーズ60スペシャル(1938・アメリカ)
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1938年のキャデラック 60スペシャルは、実用性を考慮して流線型を応用した最初のモデルであろう。ランニングボードのない、低く幅広のスタイルは力強く、プレステージを演出するにふさわしいものだし、なによりトランクルームを設けたことに注目したい。当時、このスタイルはトヨタの大型B型やBC型にも採り入れられたように、現代の3ボックスセダンの基本形がこの時できあがったのである。また、60スペシャルはコラムシフト方式を採用したことでも有名であった。

フォルクスワーゲン 38プロトタイプ(1938・ドイツ)

フォルクスワーゲン 38プロトタイプ(1938・ドイツ)

フォルクスワーゲン 38プロトタイプ(1938・ドイツ)
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ドイツでは、ヒトラーの掲げた「国民車高層」をもとに国をあげて自動車の大衆化が行われた。国民車=VW、すなわちフォルクス・ワーゲンが誕生したのである。設計はいうまでもなくフェルディナンド・ポルシェが担当。頑丈なプラットフォームシャシー、4輪独立懸架、空冷水平方向4気筒エンジン、そしてRR駆動の公式がこの時できあがったのである。販売は一定額を積み立てていく貯蓄販売という方法が採られたが、第2次世界大戦が 終わるまで、民間にはほとんど渡らなかった。

ドラージュ タイプD8-120(1939・フランス)

ドラージュ タイプD8-120(1939・フランス)

ドラージュ タイプD8-120(1939・フランス)
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フランスのGPカーの頂点ともいうべきドラージュも、1930年代に入ると盛んに高級ツーリングカーや豪華サルーンをつくりはじめた。その美しさは”愛人に贈るならドラージュ”といわれるほど優雅にして華やかなものばかりであった。D8-120はいちばん後期に属する大型高性能車としてもっとも美しいモデルである。コーチワークはすべて専門業者に依頼して、容姿を競いあったのだが、どれもオートクチュールを想わせるいかにもフランスらしいものであった。この美しいカプリオレはフィゴーニ・ファラッシの手により、ドライエに併合されてからつくられたものである。

パッカード トゥエルヴ〔ルーズヴェルト専用車〕(1939・アメリカ)

パッカード トゥエルヴ〔ルーズヴェルト専用車〕(1939・アメリカ)

パッカード トゥエルヴ〔ルーズヴェルト専用車〕(1939・アメリカ)
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1915年に登場して一躍'20年代の花形になったパッカード・トゥエルヴは、'30年代に向かって大きな変貌を遂げる。そして、この新しいモデルを語るとき、なくてはならない人物がアメリカ大統領フランクリン・デラノウ・ルーズヴェルトであろう。彼もまた、パッカードを選び、その信頼性と豪快なパワーに魅せられたひとりだったのである。この専用車は、12気筒がのせられた最後の年、1939年につくられたもので、格式の高いロールソン(ロールストン)がボディを架装。防弾ガラスをはじめ大統領専用の補強は装甲車並みだが、軽快なツーリングボディはルーズヴェルトの笑顔とともに華やかなアメリカの象徴である。

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